もう一度

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「ロロノア。おまえ、中で作業する気はないか?」

休憩時間に隣で缶コーヒーを飲んでいたタケダさんが、おもむろに口を開いた。

「外よりいい金になるぞ。お前はガタイがいいし、交通整理より向いてると思うけどな」

オレも働きながら大学に通ったから、おまえの苦労はよくわかる。とタケダさんは言った。

だから苦学生じゃねえっての。なんてことは言えなかった。

おせっかいで、いい人だ。現場監督としては若いらしいが、年上にあなどられることも年下になめられることもなく、人望は厚かった。ウチヤマが頭と呼ぶにふさわしい大人だ。

「オレには無理です」すみません、と頭を下げた。

「どうした、不安か?大丈夫だ。なるべく軽作業にまわしてやるから」

”ここだけの話だけどな”と声を落として耳打ちした。

タケダさんの気づかいはありがたい。が、この申し出は断るほかない。ゲートで指示灯を振る程度ならともかく、建設作業するとなると・・。自分が建材を運んだりするところを想像すると、心がヒヤリとした。もし何かヘマをしたらこの人にも迷惑をかけてしまう。

オレは思い切って、事情を説明した。なるべく少ない言葉で、なるべく暗くないトーンで。

「そうだったのか。知らなかったとはいえ・・悪かったな」

左手に障害があることを話すと、タケダさんはそう言って申しわけなさそうな顔を向けた。タケダさんの目にこれからは違った憐れみが込められるだろうことを思うと、オレは少しだけ嫌な気持ちになった。


交通事故に遭ったのは17の夏だった。

隣県で開かれた剣道大会へ向かう道で、反対車線からいきなり飛び出してきたワゴン車が衝突し、オレたち3人の乗った車は路肩に横転した。

運転していた父さんは即死。助手席に座っていた姉さんは重体で病院に運び込まれ、一度も意識を戻すことなくその晩息を引き取った。後部座席にいたオレは命に別状はなかったが、左手に負った傷のせいで薬指と小指にうまく力が入らなくなった。それは小さな頃から剣道に打ち込んできたオレにとって、致命傷も同然だった。

剣の師匠だった父さん、先輩だった姉さん。家族を奪われ、なお、ふたりとの絆だった竹刀さえも手から落ちていく。加害者であるドライバーは、脳出血で運転中に意識を失い亡くなっていた。オレはどこにも怒りをぶつけられず、どうしようもない気持ちはただ、落ちていった。暗く冷たい深海に引きずり込まれたように。

そんなオレに母さんは根気強くリハビリを勧めた。残されたたったひとりの家族をこれ以上悲しませるわけにはいかない。そう自分を奮い立たせてリハビリを開始したのは、事故から2ヶ月が過ぎた頃だった。

リハビリの成果は目に見えては現われなかった。時間が必要だということを頭では理解していたが、オレはどうしようもなく焦った。焦って、まだコントロールの効かない剣のまま、翌年の県大会に出場したが、結果はぼろぼろだった。目標だった連続個人優勝どころではない、思いもよらない2回戦敗退だった。

オレは剣道とリハビリとその他のあらゆることを遠くへ投げ出し、なんにも意欲が持てないまま高校を卒業した。卒業後は地元の大学に入学したが、それは母さんのたっての願いだったからだ。

警官として働きながら一生剣道を続ける。なんの疑問もなく父さんと同じ道を歩むと決めていたし、それ以外の選択肢なんて考えたこともなかった。その道が絶たれては、進学する意味なんてない。

当然、大学生活はつまらなかった。オレはすぐに講義をさぼり適当な仲間とつるんで遊び始めた。誘われるままコンパに顔を出したりクラブに行ったり女と付き合ったりしたが、気持ちが浮上することはなかった。夏休みに入る頃には誰かといるのも億劫になって、ひとりで夜の街へ出かけるようになった。

暗い路地であのコックと出会ったのは、ちょうどその頃だ。

振り返ってみれば、あの事故が起きるまで、オレは迷ったり悩んだりしたことがほとんどなかった。父さんと姉さんの背中を追って、いつか追いつきたくて、剣を振る毎日。それは立ち止まることがないくらい充実して、楽しくて、稽古が苦しいなんて思ったこともない。

そんな風にひたすら前を真っ直ぐ突き進んでいたのに、ふたりが居なくなった途端に迷子だ。2年間さ迷ってるが、目的地が何処なのかすらオレはわかってない。わかったのは自分が剣道と喧嘩ぐらいしか能のない不器用でバカな男だということだけ。

『いったい何がしたいんだよ?』

あの夜投げかけられた言葉を思い出すたびに、泣きたいような笑いたいような不思議な気分になる。

いったい何がしたい?

いったいどこに行けばいい?

どうすれば胸にぽっかり空いた、この虚ろな穴を満たすことができるんだ?

なあ、コック。

聞きたいのは、オレのほうなんだよ。

続く...

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