もう一度

( 2 )

ゲート前の朝のラッシュが落ち着くと、あくびが出て止まらなくなる。

工事現場のバイトを始めて1週間。夏の暑さが残るさなか長袖の作業着を着てヘルメットをかぶるのも、指示灯を振るのにも慣れはしたが、朝早いのがどうにもつらい。またあくびが出そうになったところへ人が通りかかり、オレは慌ててそれを呑み込んだ。通勤の時間帯を過ぎても商店街の人通りは切れない。だがそれはまばらで、自分がまだ幼い頃に見た通りの賑わいはどこかへ行ってしまっていた。

かつて城下町として栄えたこの界隈には、歴史を感じさせる古い建物がぽつぽつ残っている。ほとんどは殿様の御用を賜っていた商店で、城の主がいなくなってからは区役所や病院や近隣に暮らす住民相手にほそぼそと商売を続けていた。けれども刻々と過ぎていく時間が老舗からのれんを奪い、店の数は減るいっぽうだ。

そこへ押し寄せたのが再開発の波だった。

最近になって歯抜けに空いた土地という土地を大手が買い漁り、競うように新しい建物を建て始めた。中でも目玉は集合住宅と複合ビルを擁する『ニュータウン構想』で、その建設現場の2番ゲートの端にオレは立っていた。運搬車両と通行人の誘導、それが仕事だ。

「今日も暑いっスねー兄貴」

言いながら眉をへの字にした情けない顔のウチヤマが寄って来た。

ウチヤマは4日前に追加された人員で、オレとふたりでゲートの両脇に立っている。小太りで、丸顔。高校を中退してアルバイトを転々としているらしく、ひとつ年下だがオレよりずっと世間を知っているようだった。こいつがおしゃべりなおかげで、無口なオレは何かと助かっている。

「兄貴はよせ、って言ったよな」

「いいじゃないっスかー。だって、兄貴ってカンジなんスよ、ロロノアさん。目つきヤバいし、超クールでケンっぽいつーか?」

「・・ケン?」

「やだなーもう!ケン知らないとか嘘っしょ?高倉健っすよ!」

任侠映画とVシネマにどっぷりはまっているウチヤマは、はじめて会った時からオレに“男気”とやらを感じて“惚れた”と気味の悪いことを言ってくる。確かにコワモテのせいでその筋の関係者と間違われることはあるが、まったく嬉しくはない。

「似てないし、健さんに悪い。とにかく変に思われたくねえから兄貴は止めろ。ただの学生だぞ」

「そうは見えない、っつーか?いや、マジで。今どきの大学生、こんなバイトしないっスよ。頭のタケダさんなんか、親孝行だってエライ感心してましたけど」

ウチヤマが“カシラ”と呼ぶタケダさんはこの現場の監督のことだ。昼飯やら飲み物やらをしょっちゅうおごってくれる面倒見のいい人で、片親のオレのことを苦学生だと思っている。しかしそれはとんでもない誤解だ。オレが学費を稼ぐためでなく、ヒマつぶしのためにアルバイトしてると知ったらどう思うだろう。

夏休みが終わっても大学には行っていないし、行く気もしない。このままだと留年、いずれは退学だ。オレはそれでもいいが、親は黙っちゃいないだろう。それに大学をやめたとして何をしたい訳でもない。こんな半端なオレが、ウチヤマに兄貴と慕われるのもタケダさんに孝行者と賞されるのもおかしな話だ。

あー、めんどくせぇな。

オレは少し重たくなった胸の内とひとりでしゃべり続けるウチヤマを放って通りの向こう側に目をやった。

そろそろあいつが来る時間だ。


あれは遡ること1週間前、バイト初日の午前中のことだった。現場は解体が始まったばかりで誘導作業はあまりなく、オレは道路を挟んで向かいにあるタバコ屋の前のドリンク自販機を見つめていた。

今日より残暑がきつい日で、日差しが照りつけるアスファルトに立ちっぱなしの体からは止めどなく汗が浮いて流れ、次の休憩時間に飲むジュースのことでオレの頭は一杯だった。

炭酸か。スポーツドリンクも捨てがたい・・・。

迷っていると男がひとり自販機の正面に立ち、オレの視線をさえぎった。

男はポケットに両手を突っ込みちょっと首をかしげたポーズでしばらく機械と見つめ合ってから、小銭を入れボタンを押した。手にしていたのはコーラの缶だった。オレはその時なんとなく、自販機の前から離れてゆく男を目で追った。

二十歳前後の若い男だった。

細身で長身で足の長さが尋常ではなく、白いTシャツとデニムがやけに似合う。ストレートの茶髪を女みたいになびかせ軽い足取りで歩いていくそいつを、いつの間にかオレはガン見していた。そして思い出していた、一ヶ月ほど前の最悪な夜のことを。

暗い路地。逃げ足の速いオッサン。妙に落ち着いて、どことなく調子のはずれた、ひどく印象的なまなざしの男。・・・目の前を横切って行くまさにあいつだった。

まさかの偶然にオレは動揺し、ガン見を続けた。

男はタバコ屋の並びを進み、交差点の信号を越え、通り過ぎて行くかと思ったが足を止めた。交差点の角にある建築中のビルを見上げ、歩道の鉄柵に腰を掛け、買ったばかりのコーラを飲み始めたのだ。

確かにその日の暑さは耐え難く、のどが乾くのも理解できた。けど、何もそんな場所で飲まなくても・・・と思ったのはオレだけではないらしい。通行人が怪訝そうな顔で見やったが、あいつは気にするそぶりもなくのんびりとコーラを飲み続けた。

「もう一度会ったらただじゃおかねえ!!」

あの夜切った啖呵を思い出したが、奴に駆け寄り、おとしまえを迫る気にはなれなかった。怒りなどとうに失せていたし、むしろ感謝したい気持ちさえ湧いていたからだ。あいつが止めてくれなければ、オレは傷害で警察に捕まり、警官だった親父の顔に泥を塗っていただろう。そこまで頭がまわらないとは・・あの夜は、まったくどうかしてた。

嫌なとこ見られたな、あいつには。

ため息をひとつして、コーラを飲む男の横顔を観察した。 陽の下で奴の茶髪がひときわ明るく、眩しい。肌の白さは、昔家にあった日本人形を思わせた。あの夜もそうだったが、奴の容姿と存在感にはやはり目を引くものがある。

あいつ、モデルでもやってんのかな。・・いや、モデルがこんな町に住んでるわけねえか。

ホストとか?ありそうだなー。って何想像してんだ、オレ。

気づけば親しくもない男の素性をあれこれ詮索している自分がいて、不思議な気持ちがした。

興味を持ってどうすんだよ。所詮もう会うこともねえだろ。

そんな自分の心の声を聞きながら、それでもオレは男が立ち去るまで通りの向こう側を見つめた。いや、正直に言おう。目をそらすことが出来なかったんだ。

inserted by FC2 system